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ストリートから生まれた新たな現代アート。大山エンリコイサムの魅力とは

JINS 原宿/大山エンリコイサムインタビュー
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ストリート文化の象徴であるエアロゾル・ライティングの視覚的な即興性と、そこで通常かかれるライターの名前やキャラクターとは異なる、抽象的なかたちのミニマルな構成が生む持続性の融合。原宿は明治通り沿いにあるJINSの店内外壁一面に大きく広がる絵の魅力に吸い寄せられ、思わず店の中に入ったことがある人も少なくないのではないだろうか。今回はその作者である大山エンリコイサムに、自身の作品に込める考えについて語ってもらった。

―JINSのような人々の日常に近い大型メガネ店が、アートに対して感度の高いアンテナを張ることで街にユーモアが生まれる。とても素敵なことだと思うんです。大山さんはJINSのこういった活動に対してどのような印象をお持ちですか?

渋谷店での展覧会なども含めて、JINSの現代アートに対する取り組みは以前から知っていました。社長の田中さんや上層部の方がアートに関心を持つことで可能性は開けていく。ポテンシャルを感じます。

―JINS原宿店にかかれた作品のコンセプトを訊かせていただけますか。

床や壁、天井、段差など、建造物には構造に沿った境界線があります。一般的にライティングはそういう境界線を無視して、たとえば窓ガラスとシャッターと壁をまたいで塗り潰しながらかいていく。でも僕はただはみ出すのではなく、建造物の構造と対話しながら先に進むイメージ。今回の作品も、境界線に沿って絵ができている箇所がいくつかあります。

―本当ですね。ところで、なぜ"グラフィティ"ではなく"ライティング"と呼ぶのですか。

歴史的な経緯からです。ニューヨークで生まれたライティングは1969年から72年くらいの2−3年が最初のウェーブでした。その第1世代のライターたちは、自分たちの活動を「ライティング writing」と呼んだ。それがシンプルに「名前をかくこと name writing」だったからです。客観的な呼称です。ただ行政やメディアは社会問題というニュアンスを託して「グラフィティ graffiti」つまり「落書き」と呼びました。これはひとつのネガティヴ・キャンペーンです。時間が経つと、メディアの力もありグラフィティという言葉が主流になってしまい、のちの世代のライターたちもそれを自然に内面化していった。僕も数年前までそうでした。でも、最初期の人たちは今でも「ライティング」と言います。「君がグラフィティという言葉を使用することで、この文化にマイナスの価値を与えている」と言われたこともあります。だからリスペクトの気持ちや歴史を再解釈するという意味もこめて、エアロゾル・ライティングまたはライティングといまは呼んでいます。

―では、実際に法律で禁止されている場所にかく行為については、どう思われますか。

公共空間における無許可の描画行為の多くは、器物損壊罪として軽犯罪に該当します。それがライティングやストリートアートという文化を形成するリアリティの一面であることは間違いありません。ただ「違法・合法」という枠組みにはとても強い拘束力があって、ライティングについて考えるときの可能性をかえって貧しくしてしまうんですね。というのも、違法・合法は文字通り、憲法や条例などで明文化された法律に背いているかどうかです。これはすごく機械的な判定で、サッカーで手を使ってはいけないという話とあまり変わらない。でもサッカーの魅力って「手を使わないこと」じゃないですよね。

―確かに、そうですね。

そういう次元の線引きにこだわり過ぎても、あまり生産的ではないと思うんです。本来ライティングの可能性は、既成概念にとらわれず、キャンバスのかわりに都市をメディアにして多くの人に表現を届けたいという解放的で拡張的なものでした。それに1970年代のニューヨークは財政が破綻して治安が悪かった。ギャングもいて、ドラッグが蔓延し、都市景観はボロボロで放置されていた。そういう環境で、無許可の描画行為は率直に言って犯罪と呼べるほどのものではなかった。行き場のないキッズたちが、ギャング化せず、銃の代わりにスプレーを手にとって自分たちの表現を生み出した。これはライティングかグラフィティかという呼称問題にも通じますが、法律と照らし合わせると違法ですけど、実態としてはとてもポジティヴなものだったんです。ゴミひとつ落ちていない現在の東京とは背景が違った。違法でも、悪意に基づいた暴力的なものではなかった。そういうところを顧みずに違法・合法という議論をしている人を見ると、経験主義のようでじつは観念的だなと感じます。それでもライティングのそういう側面に触れる必要があるときは、個人的に、違法という代わりに「無許可」と表現するようにしています。同じことを指し示しつつ、法律の発想に引っ張られることを回避するためです。

―違法・合法に分けてしまうとつまらなくなってしまう、というお話ですね。でもライフスタイルとの誤差が無いこともライティングの美学のひとつですから、例えばクライアントワークなどは「リアルではない」という見方もあると思うんです。

表現者はひとりひとり背景や抱えているコンテクストも多様で、立っている位置もそこから見えている風景も異なります。だからリアリティなんて、個々人にとってのそれから始めるしかない。リアルとかリアルじゃないとか、他人が口を出す話ではないんです。僕の場合、高校生のとき地元でかいて一回警察に捕まったことがあります。親が深夜の警察署に迎えにきた。そのとき、1970年代のニューヨークにいたキッズたちと比べて、日本の中流家庭で不自由なく育った自分がストリートにかく必然性ってなんだろうって、思ったんです。小遣いもらってるくせに親に反抗しているとか、未成年として保護されてるのに社会に反抗しているような感じ。それはリアルでもなんでもない、ただの甘えだなと思ったんですね。

―その考えに至ったのが大山さんにとってのリアルだ、と。

とはいえライティング文化に衝撃を受け、その影響が自分に突き刺さっているのも事実。だから、それをどう自分なりの立ち位置から消化していくかを考えた結果、「名前」という文字の要素を取り除いて、抽象的な線の運動に還元した。それを「クイックターン・ストラクチャー」という独自のモチーフとして、キャンバスから壁画、企業コミッションにまで展開していくということでした。それはライティングに影響されているけど、ライティングではなく、僕自身の表現の文法として確立できたと思っています。

―名前や物や人、そこで完結する何かを描いたライティングの視覚的な強さにある魅力はそのままに、描く対象を抽象化して反復や連動させることによるミニマルな要素もあって、ずっと眺めていられます。それによって、まさにここにある店舗の壁など、表現できる場所も広がっていったわけですね。

もともとニューヨークではギャングのライティングはテリトリアルで、プエルトリコ系、ドミニカ系、アフリカ系と居住エリアごとに分かれていたんです。その外に出ることはない閉じたものだった。70年代以降の地下鉄のライティングが革新的だったのは、民族グループではなく個人の名前をかいて、それが地下鉄にのってひとつのエリアを越え、都市全体を横断したことです。僕はその特性を再解釈して、クイックターン・ストラクチャーが壁やキャンバス、ファウンド・オブジェクト、コマーシャル・プロダクトからライブ・パフォーマンスなど、さまざまな物理的・社会的・概念的なメディアに拡散するという実験をしています。

―では、抽象化することとポップであることの関係はどうでしょう。明確な形やメッセージがあったほうが、多くの人に伝わりやすいこともまた事実ですが。

ポップアート寄りのライティングやストリートアートの作家だと、キース・へリングやカウズのように漫画調のキャラクターをベースにした表現があります。おっしゃる通り、一般的にはこうした作家の方がメジャー度は高いと思います。クイックターン・ストラクチャーは漫画的なキャラクターとはまったく異なりますが、アイコニックで拡散性が高いことは共通しているかもしれません。ただ一方で、クイックターン・ストラクチャーの抽象性は、古くはロベルト・マッタや、サイ・トゥオンブリ、クリストファー・ウールなど抽象絵画の空間に、ライティングのイディオムを接続していくという試みでもあります。ひたすら記号的に浮遊するというより、どこか母胎回帰するように、クイックターン・ストラクチャーにとって本来的な居場所である抽象の空間があるというのも事実です。

―なるほど。大山さんはご自身の作風を言葉にすることを、とても大切にされているイメージですが、それだけでなく、アートを俯瞰して文章をかくという側面もお持ちです。そこで、アートと批評の関係性についても、話を訊かせていただけますか。

現在のアート・ワールドでは、批評家が評価したから作品が売れるとか、美術館のコレクションに入るとか、箔がつくといったことは、ほぼありません。批評する能力をもつ人たちはいますが、その社会的影響力は低下しています。しかし長期的に見た場合、批評的な言語によって作家の実践が照らされていることは、有益だと思います。なによりも、批評はそれ自体が創造的な行為なので、作品制作と相互にフィードバックすることで生産性が高まります。それが楽しいんですね。

―ライティングの文化と批評についてはどうでしょう?

芸大に入ったとき、ライティングやストリートアートのことを知っている美術の人はいませんでした。せいぜいバスキアとキース・へリング、最近だとバンクシーまで。「不良ぽかったりファッショナブルなイメージだけど、美術とあまり関係ない」という陳腐なステレオタイプの認識で。しかし実際には、すでに50年の歴史をもつ重要な視覚文化であり、実力のある作家や高度な表現力をもつライターもたくさんいる。そこをちゃんと伝えていきたい。そうでないと僕の作品に対する見方も定着しないですから。

―キース・へリングやバスキアって、リヴァイヴァルも含めてハイプ的な扱いから広まって認知された部分もありましたよね。

そうですね。

―それはひとつのきっかけとしては悪くない。でも、そこに対してもっと議論がなされてもいい。

バスキアはブルックリンからの成り上がりで、ウォーホルにフックアップされたくて寄っていった。まさしくハイプだけどそれも彼のかっこよさです。それに幼少時から美術館に行って独学で吸収していたから、野生の勘というか、ある種の感覚知に優れていたと思う。へリングは美大に行ったから偉いわけではないけど、アカデミックな部分もあり、バスキアと全然ちがう。ゲイでHIV感染者という背景もあった。彼にとってポップであることは、有名になるというより大衆に開かれていることだったと思う。HIVが感染するように出会った人の持ち物とかに手当たり次第にかいたから、いまでも真作と贋作の見分けがつかないくらい作品があってマーケット的には問題でもある。でもそれは彼が本気でポップであることの力を信じていたからで、思想があった。いずれにせよ、バスキアやへリングはきちんと美術史的な評価に値する作家ですよ。

―そして2018年。クリエイティヴなものや情報は溢れているんですけど、逆にありすぎて豊かな選択が難しいなかで、一つひとつの作品にたいする価値や歴史的な文脈付けは、すごく大事だと思うんです。

そうですね。日本でそういう意識改革を最初に行なったのは、村上隆さんだと思います。スーパーフラットという概念をつくって、オタク文化が生まれた戦後日本の背景を明らかにし、それを現代美術に転用した。アーティストが言説や歴史記述に介入することで、局所的だった価値を、より大きな価値創造のゲームにスライドさせた。僕は作品において直接的な村上さんの影響はないけど、アーティストが自作のコンテクストを説明し、制作と言説構築の両輪で社会発信していくという点では、近い部分があるかもしれません。

―大山さんは今後、何を伝えていきたいと思われていますか。

ニューヨークに住んで5年が経ちました。僕は東京というコスモポリタンな環境で育ったこともあり、最近まで日本人であることを意識したことはなくて、地政学的条件に縛られないニュートラルな「アーティスト」のつもりでした。でもニューヨークで少しずつ感じているのは、自分が「日本人アーティスト」であることを無視することができないということです。

―最初ニュートラルなアーティストと感じていた理由として、ガラパゴス化したカルチャーが強い日本に対する反発はありませんでしたか。

反発はありませんが、コントラストはあったかもしれないですね。実際過去10年の日本の現代アートは、国際展に馴染むようなグローバル系の無国籍なタイプか、ガラパゴスと形容されがちな現代日本の特殊なコンテクストに根ざすタイプか、あるいは日本的でありかつ海外でも認知度の高いネオジャポニズム系といった複数のタイプのあいだのコントラストである程度は把握できるかもしれません。僕自身もあえて言えば、ライティングがグローバルな文化ということもあり無国籍な感覚が強かったと思います。でもそれは、逆に東京の外に住んだことがなかったからだったと今は思います。僕がライティング文化に影響を受けたのも、ニューヨークと東京という二都市間の関係があってのことで、それはやはり地政学的に規定された特定のコンテクストなんですね。だからニューヨークにいても、自分が東京出身であることが無視できない文脈をもっていることに気がつくんです。さらにそれは、日本、そしてアジアからニューヨークに移住してきた人間であるということになってきます。だからいまは、日本というイメージをどう新しく捉え直していくかということにひとつ関心があります。でも、それを「国民国家 nation state」ではなく、別の回路から考えたいんです。

―ニューヨークや世界のほかの場所から見たときに際立つ日本らしさ、ということでしょうか。

「日本らしさ」の中心を新しい概念で直接表現するというようなことではないですね。むしろ中心性や直接性は解体したい。日本は島国なので、民族的・言語的・文化的・そして国家制度の輪郭がほぼきれいに一致すると考えられている。しかし本当にそうか。たとえば私の父はイタリア人ですが、先祖はドイツのバイエルン地方に由来があって、苗字もイタリア系ではないんです。ヨーロッパは文化圏がグラデーションになっていて、国家の輪郭とずれている。これを日本に当てはめると、たとえば漢字文化圏があります。中国、韓国、香港、台湾、日本など国を超えて広がりますが、そのなかで日本は中心でなくむしろ地理的に端にある。これは徒歩で陸続きの圏ですね。さらに環太平洋圏がある。ハワイのアロハシャツが着物の影響を受けていたり、福島の瓦礫がアメリカ西海岸に流れ着いたりと海や船の文化圏です。そして東京・ロンドン・ニューヨークなどの都市文化は国を超えてつながっていますが、これは飛行機でつながる空の圏域です。こうした移動技術やテクノロジーの発展とともに、国家の枠をはみでて文化がどう混ざっていくかというエコノミーがあるじゃないですか。

―はい。

国家をベースに考えると、世界地図のように自国を中心に世界を捉える発想になるんです。日本の世界地図は日本が、アメリカの世界地図はアメリカが中心ですからね。でも実際の文化は、そうした国家の枠を超えて、より広範な圏域を形成している。陸路の漢字文化圏、海路の環太平洋圏、そして空路でつながる都市のネットワークを考えるとき、日本はそれぞれの圏域では端にあるけど、それらのレイヤーを重ねたとき、オーバーラップする位置に、事後的に日本の像が浮かんでくるんじゃないか。そうすると、国家の単一性や中心性をかわしながら、分散する日本またはディアスポラな日本というイメージを探ることができるんじゃないか。ラフなアイデアですが、最近はそんなことを思っています。

大山エンリコイサム(おおやま・えんりこいさむ)
アーティスト。1983年、イタリア人の父と日本人の母のもと東京に生まれる。エアロゾル・ライティング文化の視覚言語を翻案したモチーフ「クイックターン・ストラクチャー」をベースに壁画やペインティングを発表し、注目を集める。著書『アゲインスト・リテラシー─グラフィティ文化論』(LIXIL出版)の刊行や『美術手帖2017年6月号 特集*SIGNALS! 共振するグラフィティの想像力』の監修、コム デ ギャルソンやシュウ ウエムラとのコラボレーションなど広く活動している。現在ニューヨーク在住。
http://www.enricoisamuoyama.net

写真=タカコノエル
取材・文=TAISHI IWAMI
編集=大澤佑介、宮城フランシス伸(RCKT/Rocket Company*)
Artwork © Enrico Isamu Oyama

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