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「見ること」って何だろう? を考える

鈴木康広インタビュー
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5月26日にオープンした「JINS渋谷店」で7月まで個展を開いた鈴木康広。「世界の見方が変わる瞬間」というタイトルのもと、りんごや色鉛筆、ファスナーなど身近なものをモチーフに“新しい見方”を教えてくれるアートが並んだ。たくさんの人が楽しんだ展覧会を振り返って彼が今、改めて思うことは?

よく見えることと、よく見えないこと

個展「世界の見方が変わる瞬間」はJINS渋谷店がオープンして第一弾の展覧会でした。お店のスタッフと一緒にまっさらな状態からいろいろなことを作り上げていくスタート地点に立つことができたわけです。その勢いにいい意味で巻き込まれた感じがあって、僕自身もいつもとは違うチャレンジをすることができました。

展覧会のテーマの一つは「見る」ことです。見るという行為はほんとうはかなり複雑です。私たちはよく、視力を測って目がいい、とか目が悪いと言いますが、見る能力は視力だけで測れるものではありません。よく見えるとはどういうことなのか、人はなぜ「よく見る」のか、といったことについてはあまり考えられていないのです。
目が悪い人は眼鏡をかけると「よく見えるようになった」と言って喜びます。確かにそれまで見えなかった細かいところや遠いところが見えるのはいいことです。でもときにはくっきりと見えずにぼんやりとした視界になったり、見間違えたりといった、眼鏡とは違う体験にも意味があると思うのです。

たとえばこの展覧会のために作った新作《ルーペの節穴》は、真ん中に穴があいたレンズです。中央の穴は素通しです。《ルーペの節穴》で使っているレンズは凹レンズなので、景色が小さく見える。すると中央の穴からは景色が拡大されているような錯覚をおこすのです。よりよく見えるわけではないのに、よく見えるような勘違いをしてしまいます。でもそのことでいつも見ている景色と同じ大きさでも、新しい風景が見えてくるかもしれません。

もう一つの出品作《まばたきの時計》は、数字の表示板が入れ替わっていく時計が1分に1回、まばたきをする作品です。見る人は自分の時間感覚から割り出した1分の長さをもとに時計がまばたきする瞬間を待ちますが、待っていると1分が意外に長く感じられます。自分の内的な時間を計る作品なのですが、今回の展覧会で商品の眼鏡や他の作品と並べて見て、“時間を見る”という観点で捉え直すことができる、ということに気づきました。自分でもこういう切り口でものごとを把握したことはなかったかもしれません。

そういったことはいい、悪いではなく、見ることの一つのバリエーションだと思います。以前、赤瀬川原平さんが「老人力」という本を出したとき、みんな最初はお年寄りが元気もりもりになるような勘違いをしていました。ほんとうはそうではなくて、たとえば視力が低下してぼんやりとしか見えなくなるけれど、そのほうがリラックスできていいこともある。そんなことから、それまで気づかなかったことを“発見”することもあるでしょう。
アートはそういう変化に心を開く機会を与えてくれます。よくわからないけれど人間が感じてしまう、反応してしまう感覚を呼び覚ましていくのがアートの力なのです。これまでとは違う価値に気づくことで僕たちの中の何かがバージョンアップできるような気がします。

見ることのバリエーションを考える

今回はいろいろな「見ること」のバリエーションをお客さんと共有したいと思って展覧会を構成しました。会場で配布した冊子に「見えない線を見てみよう」「いま立っている向きを地球規模で見てみよう」といったチェック項目を入れたのもそのための工夫の一つです。

人間がものを見るときは目から入った信号が神経を通って脳に伝わり、脳が「こんなものが見える」と判断しているわけですが、この一連の器官は意外にだまされやすいものなんです。錯覚や明順応・暗順応といった反応はこの「だまされやすさ」から生まれています。アートはそんな普段とは違う感覚や、その人にしか感じ取ることができないものにスポットをあてることができる。初めて見る人はびっくりしますが、それをきっかけにしてそれまで見えなかったものが見えてくることあるのではないでしょうか。目の前に同じものがあったとしても、同じ光景を見ているとは限らない。自分とは全く違う人間であることを示しつつ、同じ人間であることも教えてくれる。アートにはそんな力があると思います。

僕は以前、視力が0.8ぐらいだったのですが、今は1.5ぐらいあるんです。視力が下がることはあっても上がった、という話は聞いたことがなかったので自分でも驚きました。どうしてかな、と思って考えたのですが、よく緑を見ていたことのほかに、きょろきょろしていたからではないかと思います。視野の中に何か面白いものがないか、無意識のうちにあちこちを見ている。
きょろきょろ見るのではなく、一瞬だけ見るというのもあるタイプの作家には大切なことのようです。一流のスポーツ選手は動体視力が優れているといように、みんなそれぞれ独自の“見る力”を持っているのではないかと思います。人によって違うアンテナを持っていたり、体の癖が違っているのと同じです。見方には「こんなふうに見なさい」というルールがあるわけではなく、それぞれの人にふさわしい見方や“見る力”があるのです。

また、人によってふさわしい見方があると言っても、ある一つの見方をしていればいいわけではないと思います。観察することは大事ですが、じーっと見て分析すればいいというものではない。たとえば対象をちらっと見て他のものを見て、またそのものに戻ったときに何かを発見するかもしれません。科学的な大発見も失敗から生まれることがよくあります。僕は作品をつくることで、いろいろな見方によって大事なことを察知する訓練をしているのかな、と思うことがあります。じっと見ていると見逃してしまうものがあるのです。

視覚を入口にして、アートが感覚を拡張する

デザインは目的があったり、問題を解決するためのものですが、わからないところからスタートするのがアートです。「何か気になる」「何かあるな、と感じる」といったことから始まるものなんです。たとえば写真家は「何かありそう」と感じた瞬間にシャッターを切る。彼らはカメラを持つとセンサーのスイッチが入るわけですが、僕はカメラを持っていなくても「何かありそうだな」と思うとそっちに行ってみるということがよくあります。
そういった感覚は五感でわけられるようなものでは説明できないんです。利益や価値があるのかわからないけれど何かが気になる、という感覚です。不思議なインスピレーションのようなものとも言えるかもしれません。もちろん、「何かある」と思ったのに何もなかった、というように間違えることもあるのですが、そのついでに何かプラスになるものを拾ってくることもある。感覚を拡張するってそういうことじゃないかな、と思うんです。
 視覚はそんな不思議な感覚の入口になるものです。でも「見ること」「見方」だけでもすごくバリエーションがある。この展覧会はその意味でも、僕にとって改めていろいろな発見をさせてくれるものになったと思います。

アーティスト 鈴木康広
1979年静岡県生まれ。2001年東京造形大学デザイン学科卒。
日常の見慣れた事象を独自の「見立て」によって捉え直す作品を制作。
公共空間でのコミッションワーク、大学の研究機関や企業とのコラボレーションにも積極的に取り組んでいる。
代表作に、《遊具の透視法》(2001)、《まばたきの葉》(2003)、《空気の人》(2007)、《ファスナーの船》(2010)など。
2014年水戸芸術館 鈴木康広展「近所の地球」、金沢21世紀美術館 鈴木康広「見立て」の実験室を開催。2016年「ロンドン・デザイン・ビエンナーレ2016」に日本代表として出展。
武蔵野美術大学空間演出デザイン学科准教授、東京大学先端科学技術研究センター中邑研究室客員研究員。
2014毎日デザイン賞受賞。作品集『まばたきとはばたき』『近所の地球』(青幻舎)、絵本『ぼくのにゃんた』(ブロンズ新社)がある。

取材・文=青野尚子
編集=大澤佑介(RCKT/Rocket Company*)

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