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映画監督・山戸結希、メガネ越しのまなざしがとらえるもの

TALKING ABOUT "MAGNIFY LIFE" - 山戸結希インタビュー
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大学時代に撮った処女作で鮮烈なデビューを飾って5年、まだ20代。山戸結希は日本映画の未来を切り拓く新世代のトップランナーだ。小松菜奈・菅田将暉を主演に迎えた『溺れるナイフ』(2016)では、鋭くエモーショナルな作家性はそのままに、表現の射程距離を大きく広げた。現在は次の劇場用長編を準備中だという監督に聞く、メガネと創作についての話。

映画は心を可視化する

2012年、大学の映画研究会で作り上げた『あの娘が海辺で踊ってる』が東京学生映画祭の審査員特別賞を受賞。2014年には二作目の中篇『おとぎ話みたい』がテアトル新宿のレイトショー動員記録を13年ぶりに更新し、2016年、ジョージ朝倉の人気少女漫画を映画化した『溺れるナイフ』が全国ロードショー。まるで「映画みたい」な勢いでステップアップする山戸結希。この一年あまりは、乃木坂46やRADWIMPSの音楽MV、カネボウ化粧品やブルボンのCMなど、さまざまなスタイルの映像作品を手掛け、着実に経験値を高めてきた。

「映画撮影を体験するまではわからなかったのですが、撮る個人が感動しながら撮っていなかったらば、観る個人も絶対に感動してくださらないんです。カメラを回すその瞬間に『いまから生まれてはじめて見る世界なんだ』って覚悟していなくては、観客にとっても『あ、どこかで見たシーンだな』ってストレートに伝わってしまう。映画は、『心を込めて撮っているかどうか』というのが、逃れがたく可視化されるメディアなんです。だからこそ、映画に映る美しさはほんとうの美なのだという実感も深いです」

もともと哲学の研究者を志していた山戸だが、他者との共同作業でしか生まれない映画というメディアに魅せられ、現在はより大きなスケールで自らのヴィジョンをフィルムに焼き付けようと奮闘している。

「大学生のときに撮った最初の2作品は、私ひとりでカメラを回し、自分自身の目線で構成され、心象風景そのままを注ぎ込んでいると言えるような撮影でした。実は最近、きっと10作ぐらい連続で、全作品を異なったカメラマンさんと撮影をしています。カメラマンさんとは、現場でそれぞれ離れたセッティングにいるということは往々にしてあります。彼とは、物理的にも離れた場所から、ある一点を見つめる。モニターだけが、私たちの世界の繋がりです。いままでのカメラマンさんは、私よりも背が高く、年上の方たちでした。つまり、カメラマンさんと私は全く違う時間を生きてきた、全く異なった身体を持っているのですね。それでも、いまここで現実として切り取られかねない風景よりも、もっともっと見たかったもの、『ああ、こういうふうにだけ、この世界を映して欲しかった』という光景がおさめられたときに、やはりそれは物体的な目の在り方ではなくて、もっと内的なまなざしが一致したのだと言わざるを得ないのです。その方法論を証明するために、より多くの肉体的眼球を求めたのかもしれません。お互いに、徹底的他者として向かい合いながらも、心の底に湧いている、失いやすく繊細な部分だけが写し取られた際に、第三の目の存在を確かめることができる。『ああ、ここ一点、心が重なったのだな』ということを。撮影されるシーンに対して、自分自身がそこにエモーショナルな景色を見ているのは、作家としては当然で、それを向かい合う俳優さんの身体に宿し、俳優さんが持つそのエモーションに、カメラマンさんが同期して、という、針に糸を通すような営為。それをずっと繰り返す、そのトライアンドエラーによってだけ、普遍的な美しさが近づいてくる。そうやっていまも生死を繰り返しながら、カメラを取り囲む身体に向かい合っています。理想論や絵空事ではなく、心が照射されうる芸術だからこそ、意味があるのだなと知りながら。見たままの平坦な現実が映されるだけならば、きっと映画という芸術は100年もたなかっただろうと思います」

映画監督の仕事とメガネ

映画を作るようになって、視力に対する意識も変わった。メガネは普段から何本も手元に置き、シチュエーションによって使い分けているという。

「大学3年生の頃、映画に心身を持ってゆかれて、もはや服を選ぶ力が残っていない、みたいな状態になる時期がありました。ピントの合う対象が、映画しかなくなって、冬なのに半袖で大学に行くぐらいでした。上智の子はみんな綺麗だったので、恥ずかしかった(笑)。目が悪いので、小学生の頃からずっとコンタクトだったのですが、そういう状態なので、目の中に繊細に入れてやる余裕はなくて、自然とメガネをかけるようになってゆきました。監督になってからは、メガネをかけて過ごしている時間のほうが長いです。それはリソースの問題だけではなく、すこしでも視界に靄がかかったら、自分の目を信頼できなくなったら、映画監督はそれ一発で幕を閉じる職業でもあるから、そんなことで撮れなくなったら自分を許せないな、と感じているからです。一秒でも長く撮り続けるために、目を大切にするために、毎日メガネをかけています。ブルーライトカットのPCメガネも使うようにしています。ただ、寝る直前まで何か書いてたりして、そのまま寝落ちしちゃうことが多いので、メガネがすぐ破壊されてしまうんです……。そういえば、『溺れるナイフ』の撮影中も、メガネがご臨終されたことがありました。理由は思い出せないですが、肉体的な現場だったので、何かの拍子に壊れたのかもしれないですね。メガネがすぐ壊れちゃうから、本当によくJINSのお店に行って、いつも直してもらい、お世話になっています」

メガネという仮装/仮想装置

2017年秋には、玉城ティナの写真集『渇望』と連携するショートムービー「玉城ティナは夢想する」がネットで公開された。山戸は脚本と監督を務め、玉城ティナが人気モデルである本人と彼女にあこがれる「A子」の2役を演じた。ここでもメガネは重要な小道具として利用されている。

「玉城ティナさんに焦がれるA子のお話だったので、普段モデルさんとして着るのとは違う服をえらび、髪型もスタイリングを変え、そして、メガネも掛けてもらったのですね。ステージに、人前に立つ彼女たちが直面しているのは偶像性の強い仕事でもあり、きっと『本当の自分探し』みたいなことをしても見つからず、その偶像だけを彼女の身体から引き剥がそうとするのは、とても困難です。だからこそ、玉城ティナという偶像が存在することを、尊重したままの姿に宿る、より強烈なフィクションの設定を考えました。彼女に、憧れてやまない少女という作劇、劇中のモノローグは、相談なく全て書かせてもらったので、彼女の本当の気持ちと重なっているかは、誰にもわかりません。全部、まるっと違うかもしれない。それでも、あの熱で生きたティナさんの呼吸だけが本物だという実感は、たしかにありました。物語の中でだけ、彼女自身の脆く、かけがえのない生命が立ち現れてくるんじゃないかと信じていました。最後に、ティナさん本人とA子が溶け合うときは、メガネをはずすっていうアクションが入っていて、ステージに立ち、まなざされる側の存在にもなると決めて、はずしたんでしょうね。乃木坂46の西野七瀬さんをはじめて撮ったときも、途中でメガネをかけてもらったりしましたね。まだ社会の時流的には、女性がメガネをかけるっていうのは、表舞台と舞台裏があって舞台裏のほうという認識が残っているからこそ、『舞台に立つことのない女の子』『プライベート』なものの象徴として。いま、メガネがどんどん外的でおしゃれなものになっている一方で、強く渇望する側、まなざす側、追う側のまなざしを表現する、内的な要素があることも、メガネの持つ魅力です。そういう、常に何かを追いかけてるってイメージを、メガネは内包しているのかもしれません」

現在、メガネは「視力が悪くてよく見えない」という能力的な制限を示すだけではなく、「このメガネを選ぶ」「自分から見る」という能動的な意志を象徴するものにもなりつつある。

「メガネの存在自体が、表舞台に出てきていますね。きっと、これからもどんどん。昔と違っていろいろおしゃれな選択肢もあって。『影の女の子』だった子たちが、その姿のままで、自然なかたちで自己肯定されるという。プライベートな、内的な世界がそんなふうに一個のおしゃれなアイデンティティになるっていうのは、素晴らしいな、認め合いやすくなる大切な目印だって思いますね。メガネ女子に会っても個性的でかわいいなと思いますし、実際に撮るのも好きですね。これからもメガネ女子を、しっかりとまなざしてゆきたいです」

未来の誰かに向けて撮る

今回、山戸監督のポートレイトが撮影されたのは、阿佐ヶ谷のライブハウスLoft A。上京してまもない頃に漫画家のジョージ朝倉と映画監督の佐藤佐吉のトークショーを見に行った場所であり、処女作が評価された際に監督としてはじめて人前に立った思い出深い店だ。加えて、CM撮影で旅したハンガリーから持ち帰った私物のメガネケースや文房具も用意してくれた。

「こうしたインタビューの隙間、どうにか短い時間で撮ってくださるカメラマンさんのパートナーになりたくて。普段はまなざす側に立っているので、そういう作り手の一人としてなにか、写真家さんに対して言葉以外での想いを伝える努力として持ってきました(笑)。阿佐ヶ谷ロフトの、このへんの隅っこの席でジョージ先生を見つめていました。手に持っている『星の王子さま』は、実は本ではなく、5年日記の表紙です。書いている日と書いていない日が激しいですが、今年がちょうど監督になって5周年だったので、活動を始めた頃に書き始めたのかな。映画自体が、公開されるまで特に長い時間のかかる表現ジャンルだから、そうした視座を、自分の中に導入したかったのでしょうね。映画を歓迎するためのまなざしに、自分自身の視野単位を調節したかった。5年後にどんな作品を撮っているかということを、常に夢見ていました。そして、『未来の誰に届くんだろう』っていうことを、一作一作よく考えていました。未来の誰が受容してくれるのかっていうのは、いつも、ずっと。そういう未来への時間が、いまでも流れています。そういえばいま準備している作品は、このインタビューとも全く偶然のタイミングなのですが、メガネ男子が重要な役柄で登場するお話でもありました。不思議なことですね。メガネの周縁が受けるまなざしと、メガネの奥から発するまなざし……。映画史上稀に見る、メガネ演出のこれでもかと効いた作品にしたいですね。メガネ男子をも、まなざしてゆきます」

映画監督・山戸結希の「妄想メガネ」

ー 様々な表現分野で活躍するクリエイターが、こんなメガネがあったら面白いなと思うメガネを、自由な発想で提案する「妄想メガネ」のコーナー。今回、映画監督の山戸結希はメガネを題材にしたシナリオを書き下ろした。

今回書き下ろした短篇のための脚本は、メガネをかけた“めいこ”という女の子が主人公です。
めいこの、ひと冬の恋。
あなたの心の中のカメラで、めいこの奮闘を追いかけてあげてもらえたなら、 サイバーの片隅に誕生しためいこの悲しい肉体が、今にも血筋をはずませて、報われる想いがします。

山戸結希/映画監督。上智大学在学中に独学で撮影した『あの娘が海辺で踊ってる』で東京学生映画祭・審査員特別賞を受賞。2014年、『おとぎ話みたい』がテアトル新宿のレイトショー観客動員を13年ぶりに更新。2015年、第24回日本映画プロフェッショナル大賞新人監督賞受賞。2016年、『溺れるナイフ』が全国ロードショーされる。2017年、NHK総合「あなたとのご飯を覚えていたい」、NGT48「世界はどこまで青空なのか?」MVなど、多種多様な映像作品を手掛けつつ、次の映画を準備している。

写真=タカコノエル 取材・文=野中モモ
編集=大澤佑介、宮城フランシス伸(RCKT/Rocket Company*)

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