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Interview – TEPPEI KANEUJI

切り抜きから“ものの見方”まで。万物をコラージュするアーティスト、金氏徹平。

— JINSが新たに発表した「アーティストライン」。その第1弾アーティスト、金氏徹平の作風を一言で表すのは至難の業だ。フィギュアの髪の毛パーツばかりを無数に組み合わせたり、見慣れた日用雑貨や廃材をうずたかく積み上げて液体をかけたり。あらゆるものを立体的にコラージュし、謎めいた印象とともに異なる見方や解釈を誘う作品の数々。いったいどのような感性で世界を見つめたなら、こうなるのか。京都・嵐山のアトリエに本人を訪ね、ものと人、人と人さえくっつけ合わせる“世界の見方”、その躍動する宇宙を覗き込んでみた。

平面から人間関係まで。自由闊達なコラージュの魔法

—金氏さんの活動といえば、平面のコラージュ作品に漫画、CDジャケット、立体作品なら彫刻的なものから舞台美術、映像作品もあれば、8人で活動する「ハジメテン」のようなユニットのプロジェクトまで非常に多岐に渡りますが、ご自分の中ではそれらをどう位置付けているのでしょう?

「コラージュが基本的な手法で、その時々のコンセプトによって作られるものの形が決まってくる感じです。コラージュというと普通は平面をイメージすることが多いですが、僕の場合は立体から、異なる表現手法や人同士を組み合わせるなど、どんどん拡張してきました。今では余りにも広がりすぎてしまって、僕がやっていることの全体像は誰も把握できていないと思います。僕自身、把握できているかどうかというと怪しいですね」

—どういう経緯で、今の制作スタイルにたどり着いたのでしょうか。

「立体という意味では、京都市立大学の彫刻科にいた頃からでしょうか。1、2年生のうちは基礎から始めて、粘土で模刻をしたり、鉄の溶接をしたり、木を彫ったり石を彫ったり……。3年生から課題が自由になるので、そこからいろいろなものをくっつけ合わせていくようになりました。それと並行して印刷物のコラージュをやっていたので、その手法と彫刻の方法論を結び付けられないかというアイデアが思い浮かび、立体的なコラージュにつながっていった感じですね。
彫刻というと木や石などの素材を思い浮かべる方が多いと思いますが、そもそも彫刻の材料として木や石を買いに行くことと、僕のように既製品を探しにホームセンターに行くことはそんなに差がないんじゃないか、と気付いたのもその頃のことです。何かを“素材”として見るという意味においては、何でも彫刻の素材になりうるはずだと思ったんですね。
でも、そう思えば思うほど、本当に何も捨てられなくなってしまって……大量に集めてきたものがアトリエと自宅、あとは大学の研究室、それに実家やおばあちゃんの家にも、いろいろなところに分散して置いてあります。もはや、ものに振り回されている感じですね(笑)」

予想外の展開を生み出し、面白い状況を作り出す

—でも金氏さんの場合は、自分が作品を完全にコントロールするというよりは、あえて“振り回されている感じ”を求めている気がします。

「そうですね。何かを自分が全部コントロールできていると思った瞬間に、全然面白くなくなってしまう。絵と比べて彫刻や立体の場合、どこからどこまでが作品という範囲が予め決まっていないので、そこがすごく面白い。どんどん拡張していく感覚が好きなんです」

—そう考えると、この5月にJINSから発売された「アーティストライン」のトートバッグやソフトメガネケース、セリート(メガネ拭き)の場合は、予め形やフォーマットが決まっていたわけですが、どうでしたか?

「プロダクト的なものに関しては、ユーザーの方がどう使うかを予測し切れないところがあるからこそ、面白いと思っています。いわば、思いもよらない展開を想像して作っていく感じですね。その上で興味深かったのは、僕が『女性向けなら、この絵柄がいいんじゃないか』と思っているイメージと、JINSの方々が思い描いているイメージの基準がちょっと違っていて、その部分を探りながら進めていったこと。ボツになった案を女性の友達に見てもらったら、『全然女性向けじゃない』って言われたり。でも、『JINSは金氏さんに声を掛けた時点で相当に攻めているから、向こうの要望にがっつり合わせて作っても大丈夫』って(笑)。その言葉にすっかり納得してしまい、それがきっかけになって楽しむことができたと感じています。 
あとは、JINSのブランドコンセプトに『いつもと世界が違って見える』という言葉があるように、“見る”ことの意味を問いかけるようなものにしたいということは言われていました。その点は、僕が普段コラージュする時のポイントとして考えている、視点を変えればものが違って見えるということや、文脈の違うもの同士をくっつけるとそれが全然違う見え方になるということとつながってくる部分でもあります」

—最終的に2種類のイメージが採用されましたが、それぞれどんな意味を込めていますか。

「まず、漫画の背景に描かれたモチーフをコラージュしたモノトーンのバージョンですが、いろいろな物語というか、全然バラバラのものが重なり合い、混ざり合った一つの塊になって、元の個別のものを見た時とはまったく違うイメージが見えてくる。そういうように、“見ること”と“感じること”の行き来がいっぱい起こればいいなと思って作っているシリーズです。
もう一方は、化粧品の広告に出てくる液体のイメージを大量に反復させたもの。切り抜いた無数の液体のイメージを絵の具代わりに使うことで抽象画を描くシリーズです。そのイメージをさらに写真の上に重ねたりすることで、元の個別のイメージとは全然違う空間や次元が現れてくる。ただ、それが日常生活の中で何のヒントになるのかといわれると、ちょっと困るんですけれども(笑)」

—そのイメージが、使う人の手によって様々な環境に置かれることで、さらに新たなコラージュが生まれていくわけですね。

「そう、だからどう使ってもらってもいいんです。缶バッヂを付けたり、誰かのサインが加わったり……そういうのはむしろ望むところですね。組み合わせたりくっつけたりすることで、知っているものと知らないものが簡単に入れ替わったり、ものの価値が入れ替わったりしていく。面白い状況になればそれでいい、みたいな感じかな」

“世界の見え方”は見る人次第。そのきっかけを作りたい

—今後の目標や、やってみたいことについて教えてください。

「最近は、自分なりのコラージュの考え方をフィルターにして、いろいろなもの同士をくっつけることで視野がどんどん開けてきています。ただ今度は、“コラージュ”という言葉自体に、自分としてはあまりピンと来ていないことに気付きました。今やっていることを表すような新しい言葉を発明できれば、さらに展開が広がりそうな気はしているんですが……。クルト・シュヴィッタースの『メルツバウ』にしても、ロバート・ラウシェンバーグの『コンバイン・ペインティング』にしても、コラージュの技法でものを作ってきた歴史的な人たちは、みんな自分の言葉を持っている。同じコラージュでも、単なる“何でもあり”ではなくて、ちゃんとルールや方法が構築されている境地を目指すには、やはり言葉が必要だと思っているんです。
でもやっていることは、ものとものをちょっとくっつけてみる、つなげてみるということ。ようは、見方を変えるだけ、そのきっかけを作るだけで十分なんです。そして、それを見る人それぞれの中に新しいヴィジョンが生まれてくれれば、その状況が面白い。僕がやりたいことは、そういうことかもしれません」

—その繰り返しの果てに、どんな眺めが見えてくると思いますか。

「一つひとつ手探りで、その場その場の流れでやっている感じなので、どうなっていくのかは自分にもわかりません。あらゆるもの同士がくっついて、『どこからどこまでが作品』ということさえもどんどん拡張していく一方で、基本的には自分一人で黙々と“孤独に作る”作業を大事にしていきたいという気持ちもあります。孤独に作り上げたものがあるからこそ、そこから世界とつながっていける。だから、つながって広がって、絶えず変わり続ける世界の見方と接しながらも、そこで得たものを常に個としての作業にフィードバックしていきたい。そう思っていますね」

アーティスト 金氏徹平
1978年京都府生まれ、京都市在住。2001年京都市立芸術大学在籍中、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(ロンドン)に交換留学。2003年京都市立芸術大学大学院彫刻専攻修了。現在、同大学講師。日常の事物を収集し、コラージュ的手法を用いて作品を制作。一貫して物質とイメージの関係を顕在化する造形システムの考案と変容を試み、絵画、映像、写真など多用な表現形態を通して新しい彫刻のかたちを探求。個展「金氏徹平のメルカトル・メンブレン」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、2016)、「四角い液体、メタリックなメモリー」(京都芸術センター、2015)、「Towering Something」(ユーレンス現代美術センター、2013)、「溶け出す都市、空白の森」(横浜美術、2009)など国内外での展覧会のほか、舞台美術や装丁も多数。あうるすぽっとプロデュース「家電のように解り合えない」(2011)、KAATキッズ・プログラム 2015 おいしいおかしいおしばい「わかったさんのクッキー」(2015-2016)での舞台美術をはじめ、「TOWER(thester)」(2017)では自身の映像作品の舞台化を手掛ける。

写真=松原 裕之
取材・文=深沢慶太

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